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「まるで禅問答だな」と言われたことはありませんか。あるいは、誰かの説明を聞いていて「これ、禅問答みたいだ」と思ったことがありませんか?
この使い方だと、禅問答(ぜんもんどう)は「話が噛み合わない」「何を言っているのかわからない」という、どちらかといえば否定的な意味です。実際、辞書にもそう書いてあります。
でも、本物の”禅問答”は、噛み合わせないことを目的にしているわけではありません。言葉で説明できないものを、あえて言葉でやりとりしようとしているから、外から見ると噛み合っていないように見える。それだけです。
この記事では、まず日常語としての「禅問答」を整理して、そこから本物の禅問答=公案(こうあん)へ進みます。有名な7則を原文(書き下し)と現代語の両方で載せました。読んでみると、思っていたより短くて、思っていたより変な話で興味深かったので共有します。
- 「禅問答みたい」の意味と、本来の禅問答の違い
- 禅問答と公案はどう違うのか。「1700則」の本当の由来
- 有名な公案7つを原文と現代語で
- なぜどの本にも「答え」が書いていないのか
禅問答とは?2つの意味があります
まず言葉の整理から。禅問答には、辞書の段階ですでに2つの意味が載っています。
| ①本来の意味 | 禅僧が悟りを開くために行う問答。修行者が疑問を発し、師がこれに答えるもの |
| ②転じた意味 | 真意がとらえにくい問答・会話。ちぐはぐでわかりにくいやりとり |
日常会話で使われるのは、ほぼ②のほうです。「部長の話は禅問答だ」といえば、要領を得ないという批判ですよね。この意味は完全に定着しているので、使い方として間違いではありません。
なぜ「噛み合わない」ものとして受け取られたのか
ここが面白いところだと思っています。禅問答が「わけがわからないもの」の代名詞になったのには、ちゃんと理由があります。
禅宗には「不立文字(ふりゅうもんじ)」「教外別伝(きょうげべつでん)」という基本の立場があります。悟りの中身は文字や言葉では表現しきれない、経典の外に、体験によって伝えるものだ、という考え方です。
つまり「言葉にできないもの」を扱っているのに、やりとりは言葉でするしかない。だから師の答えは、質問に対する説明にならない。「仏とは何か」と聞かれて「庭の木だ」と答える。これは説明を放棄しているのではなく、説明できないことを示すための答え方なんですね。
外から見れば、たしかに噛み合っていません。ただ、噛み合わせないことが目的なのではなく、噛み合わせられない領域の話をしているということです。
もうひとつ補足しておくと、禅問答は必ずしも「弟子が問い、師が答える」形だけではありません。臨済宗大本山・円覚寺の管長も指摘されていますが、師のほうから修行者に難問を投げかけて工夫させるものもあります。むしろ後の時代には、そちらが中心になっていきました。
禅問答と公案は、どう違うのか
禅問答を調べていると、必ず「公案(こうあん)」という言葉が出てきます。ほぼ同じ意味で使われることも多いのですが、厳密には少し違います。
禅問答=師と弟子のあいだで実際に交わされたやりとり
公案=そのやりとりが記録され、後の修行者に与えられる「課題」になったもの
「公案」という言葉は、「公府の案牘(こうふのあんとく)」の略です。公府は中国の役所、案牘は公文書のこと。公文書が万人の従うべき絶対的な権威であったように、昔の禅僧のやりとりが、後の時代の修行者にとって「迷いと悟りを判定する基準」になった。だから公文書になぞらえて公案と呼ぶ、というわけです。
「1700則」の本当の由来
公案について「全部で1700ある」とよく言われます。わたしも以前そう書いたことがあるのですが、調べ直すと、この数字の出どころが少し違いました。
『景徳伝灯録(けいとくでんとうろく)』という書物に、1700余人の祖師の伝記が収められている。そこから「千七百則の公案」と称されるようになった、というのが『日本大百科全書』の説明です。つまり1700という数字は、公案の数を数えたものではなく、そこに登場する禅僧の人数に由来するという見方が有力なんですね。
ただし、辞典によっては公案となる話題の数として1700則を説明するものもあり、完全に決着しているわけではありません。少なくとも「1700個の問題集がどこかにある」という話ではない、とだけ押さえておけば十分だと思います。
実際に道場で使われる公案は、そこまで多くありません。三大公案集と呼ばれるものを見ても、収録数は次のとおりです。
| 公案集 | 収録数 | 成立 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 『碧巌録』(へきがんろく) | 100則 | 1125年 | 臨済宗でもっとも重んじられ、古来「宗門第一の書」と称される。雪竇重顕が選んだ100則に圜悟克勤が評釈 |
| 『従容録』(しょうようろく) | 100則 | 1223年 | 曹洞宗でもっとも重んじられる公案集。宏智正覚の頌古百則をもとに万松行秀が編む(刊行は翌1224年) |
| 『無門関』(むもんかん) | 48則 | 1228年 | 無門慧開が編纂。いちばん短く、入門者が読むならこれ |
ひとつ補足しておくと、臨済宗は所依の経典(よりどころとする根本経典)を定めていません。妙心寺派の宗綱にも「特に所依の経典を定めない」と明記されています。ここで挙げた3冊は経典ではなく、宗門の教本として重んじられてきた禅籍だ、と考えてください。
初めて読むなら『無門関』がおすすめです。48則しかなく、しかも1則が数行で終わるものが多い。文庫本で手に入ります。
それと、表を見て気づかれたかもしれませんが、『従容録』は曹洞宗の書物です。この話は後半でもう一度します。
有名な禅問答7選・原文と現代語で読む
ここからが本題です。実際の公案を読んでみましょう。説明を読むより、原文を読んだほうが早いと思うので、書き下し文と現代語訳を並べます。解説は最小限にとどめました。理由は記事の後半に書きます。
1. 隻手音声(せきしゅおんじょう)——片手の音を聞け
両手を打てば音がする。では、片手ではどんな音がするか。それを聞いてきなさい。
おそらく日本でいちばん知られた公案です。江戸時代の禅僧・白隠慧鶴(はくいん えかく/1686〜1769)がつくりました。臨済宗の僧堂では、いまも入門者に最初に与えられる公案のひとつです。
白隠自身は、次に紹介する「趙州無字」に取り組んだ人でした。そのうえで「無字」より疑いの塊(疑団)が生じやすいとして、この隻手音声を新しくつくったと伝えられています。実際に弟子たちで試して、こちらのほうが導きやすいと自分で書き残しているそうです。
ちなみに、白隠のお寺の門前にあった餅屋の「おさん」という婆さんが、「白隠の隻手の声を聞くよりも両手を打って商いをせん」と詠んだ、という話が伝わっています。片手の音を聞いている暇があったら、両手を叩いて商売をする、というわけです。
なお、この一句は白隠自身が商家の主人に与えた言葉として語られることもあり、どちらが元の形なのかははっきりしません。ただ、どちらで読んでも「坐って考えることだけが禅ではない」という含みは同じで、これはこれで禅らしい返しだと思いませんか。
2. 趙州無字(じょうしゅうむじ)——犬に仏性はあるか
【原文】趙州和尚、因僧問、狗子還有佛性也無。州云、無。
【書き下し】趙州和尚、因(ちな)みに僧問う、「狗子(くし)、還(は)た仏性有りや」。州云く、「無」。
【現代語】ある僧が趙州和尚に尋ねた。「犬にも仏性がありますか」。趙州は言った——「無」。
『無門関』の第一則。たったこれだけです。「狗子仏性(くしぶっしょう)」とも呼ばれます。
何が問題になっているのか。仏教には「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」生きとし生けるものはみな仏になる性質を持っている、という教えがあります。それなら犬にも当然あるはずです。ところが趙州は「無」と答える。教義と正面から食い違うわけです。
面白いのは、もとになった『趙州録』には別のやりとりも記録されていることです。同じ問いに「無」と答えたあと、「なぜ犬に仏性がないのですか」と重ねられて「そいつに業識性があるからだ」と返す場面がある。さらに別の箇所では、同じ問いに「家々の門前、長安に通ず」どの家の門前の道も都に通じている、と答えています。こちらはむしろ「仏性を持たぬものはない」という意味に読めます。
つまり趙州は、有るとも無いとも言っている。「無」の一字だけを取り出して課題にする方法は、後の時代(五祖法演から大慧宗杲、そして無門慧開)に確立されたものだと研究では指摘されています。無門慧開自身がこの公案で悟りを開いたので、『無門関』では全編を貫く主題として扱われています。
3. 庭前柏樹子(ていぜんのはくじゅし)——仏とは、庭の木だ
【書き下し】趙州、因みに僧問う、「如何なるか是れ祖師西来の意」。州云く、「庭前の柏樹子」。
【現代語】ある僧が趙州に尋ねた。「達磨大師がはるばるインドから来られた真意は何ですか」。趙州は答えた——「庭の柏の木だ」。
『無門関』第三十七則。「祖師西来意(そしせいらいい)」とは、達磨がインドから中国へ来た意味、つまり「禅とは何か」「仏とは何か」を問う定型の質問です。禅問答では繰り返し出てきます。
それに対する答えが「庭の柏の木」。冒頭で書いた「噛み合っていないように見える」の典型例ですよね。
ここでひとつ注意点を。この「柏樹」は、日本のカシワの木ではありません。臨済宗の公式サイトの禅語解説によれば、柏槙(びゃくしん)と呼ばれる樹で、細かく分かれた小枝に糸杉に似た葉がつき、冬も夏も色を変えずに緑を保つ。幹は檜に似て赤みを帯びています。鎌倉・建長寺の境内にある大きなビャクシンが、まさにこの木です。書き下しの慣例で「柏」と訳されるので柏餅の葉を思い浮かべてしまいますが、実物はまったく別の木なんですね。
背景を添えておくと、趙州が住んでいた観音院は、別名を柏林寺といい、境内に柏槙が蒼々と茂っていたとされます。窓の外に実際に見えていたものを指したわけです。同じ解説では、この問答について、心と外の物とを対立させて見ている僧に対し、趙州は心と対象が一体である境地を示している、と説明されています。
4. 世尊拈華(せそんねんげ)——言葉を使わなかった説法
【現代語】お釈迦さまが霊鷲山で説法の座につき、一本の花を手に取って、黙って人々に示した。みな何のことかわからず黙っている。ただ弟子の迦葉(かしょう)だけが、にっこりと微笑んだ。お釈迦さまは言った——「わたしには正法眼蔵・涅槃妙心がある。文字を立てず、教えの外に別に伝えるものだ。これを摩訶迦葉に付嘱(ふしょく)する」。
『無門関』第六則。「拈華微笑(ねんげみしょう)」という四字熟語のもとになった話です。
この公案が重要なのは、禅宗が自分たちの起源をここに置いているからです。お釈迦さまは花を掲げただけで何も言わなかった。迦葉は笑っただけで何も言わなかった。それで伝わった。ここから「不立文字」「教外別伝」という、禅の根本的な立場が出てきます。
臨済宗が所依の経典を定めていないのも、突き詰めればこの一場面に理由があります。言葉の外で伝わるものこそが本体なのだから、経典を根本に据えない、という筋道です。
5. 達磨安心(だるまあんじん)——その不安な心を、持ってきなさい
【書き下し】達磨面壁す。二祖雪に立つ。臂を断って云く、「弟子は心未だ安からず。乞う、師安心せしめよ」。
【現代語】達磨大師が壁に向かって坐っている。二祖・慧可(えか)が雪の中に立ち、自ら臂(ひじ)を断ってこう言った。「わたしの心は安らぎません。どうか安心させてください」。達磨は言った——「その心を持ってきなさい。安心させてやろう」。慧可はしばらく探して戻り、言った。「心を探しましたが、見つけることができませんでした」。達磨は言った——「おまえを安心させ終わったぞ」。
『無門関』第四十一則。禅宗が中国に伝わった、まさにその瞬間を描いた話です。
個人的には、7つのなかでいちばん「わかる」気がする公案です。不安な心を探しにいったら、見つからなかった。坐禅をしていると、これに近いことが起きます。頭のなかで大きく膨らんでいた悩みを、いざ正面から見ようとすると、掴みどころがない。もちろんそれで悩みが消えるわけではないのですが、「掴めないものに掴まれていた」と気づく瞬間はあります。
6. 南泉斬猫(なんせんざんみょう)——いちばん後味の悪い公案
【現代語】東と西の堂の僧たちが一匹の子猫をめぐって争っていた。南泉和尚は子猫をつまみ上げて言った。「何か言えたら助けよう。言えなければ斬る」。誰も答えられなかった。南泉は子猫を斬った。
『無門関』第十四則。読んで気分が悪くなった方には申し訳ありません。ただ、禅問答を語るうえで避けて通れない有名な一則なので、事実として挙げておきます。
この話は後半があります。その夜、外出していた弟子の趙州が戻ってきた。南泉が昼間の出来事を話すと、趙州は履いていた草鞋を頭の上にのせて出ていった。南泉は「おまえがあの場にいたなら、子猫は助かっていたのに」と言った、という続きです。
草鞋を頭にのせる。これもまた、説明のつかない行為です。ただ、争っている当人たちが「子猫」という対象に囚われていたのに対して、趙州はその枠組みごと外へ出た。そういう読み方をされることが多いようです。
7. 平常是道(びょうじょうぜどう)——ふだんの心が、道である
【書き下し】南泉、因みに趙州問う、「如何なるか是れ道」。泉云く、「平常心是れ道」。
【現代語】趙州が南泉に尋ねた。「道とは何ですか」。南泉は答えた——「平常心が道である」。
『無門関』第十九則。最後は、いちばん穏やかな一則で終わりましょう。
「平常心(仏教用語としての読みはびょうじょうしん)」平常心(へいじょうしん)はいまではスポーツ選手が使う言葉として知られていますが、もとをたどるとここに行き着きます。ただし、この言葉を最初に言ったのは南泉ではありません。『新版 禅学大辞典』によれば、南泉の師である馬祖道一(ばそどういつ)によって初めて説かれた言葉で、中唐以後の禅思想を貫く根本命題になったとされます。師から受け取った一句を、南泉が弟子の趙州に手渡している場面なんですね。
そして禅でいう平常心は「緊張しないこと」ではありません。特別なことをしない、ふだんのままの心。お腹が空いたら食べ、眠くなったら寝る。その当たり前が、そのまま道だという意味です。
坐禅の話にひきつけると、これはかなり実践的な一言だと思います。坐禅中に「無になろう」「悟ろう」とすること自体が、すでに特別なことをしようとしている。曹洞宗の只管打坐(ただ坐る)とも通じるところがあります。
なぜ、どこにも「答え」が書いていないのか
ここまで7則を読んで、こう思われたはずです。「で、答えは?」
この記事には答えを書きません。意地悪をしているのではなく、書けないし、書くべきでもないからです。
公案は「独参」で師に呈するもの
臨済宗の修行では、公案に対する自分の見解(けんげ)を独参(どくさん)・参禅という場で、師と一対一で向き合って呈します。言葉で述べることもあれば、動作で示すこともある。そこで師が認めれば次の公案に進み、認められなければ何度でもやり直します。
大事なのは、同じ答えを言っても、人によって通ったり通らなかったりするということです。公案の目的は正解を当てることではなく、その人が本当にそこを通ったかどうかを見ることだからです。
だから、ネットや本に書かれた「答え」を暗記して独参に臨んでも、まず意味がありません。むしろ邪魔になります。模範解答を先に知ってしまうと、自分で疑う力が失われるからです。
「疑団」をつくることが目的
公案の役割は、答えを与えることではなく「疑団(ぎだん)」つまり、疑いの塊をつくることにあります。白隠が「無字」より隻手音声のほうを好んだのも、疑団が起きやすいからでした。
『無門関』の第一則で、無門慧開はこう説きます。全身をあげて疑いの塊を起こし、その「無」の一字に参ぜよ。昼も夜も工夫し続けよ。虚無だと解釈してはいけない、有無の問題として解釈してもいけない。熱した鉄の玉を呑み込んで、吐こうとしても吐き出せないような状態になれ、と。
この「解釈してはいけない」という一文が、すべてを言っていると思います。公案は解くものではなく、行き詰まるためのものなんですね。ですから、この記事を読んで「わかったような、わからないような」と感じているなら、それはたぶん正しい読み方です。
曹洞宗は公案を使わないのか
禅の宗派を説明するとき、たいてい「臨済宗=公案禅、曹洞宗=只管打坐」と整理されます。わたしも別の記事でそう書きました。大枠としては正しいのですが、実はもう少し込み入っています。
先ほどの三大公案集の表を思い出してください。『従容録』は曹洞宗でもっとも重んじられる公案集です。曹洞宗の宏智正覚(わんし しょうがく)が選んだ百則をもとに編まれたもので、いまも曹洞宗でよく読まれています。
しかも『従容録』の第十八則は「趙州狗子」。『無門関』の第一則とほぼ同じ公案です。両宗派が同じ話を大切にしているわけですね。
そしてこれは過去の話でもありません。曹洞宗には首座法戦式(しゅそほっせんしき)という儀式があります。修行僧が首座(しゅそ)を務めた証として行うもので、ここでは『従容録』に収められた百則のなかから一つを選び、実際に禅問答が行われます。いまも儀式のなかで公案が使われている、ということです。
辞典類にも、日本の禅宗は初期の曹洞宗を除いてほぼ公案禅を採用した、という趣旨の記述があります。つまり歴史的にも、曹洞宗は公案と無縁ではなかったということです。
では違いは何かというと、坐禅中に公案を工夫するかどうかです。臨済宗は坐禅の時間に公案と取り組みます。曹洞宗は坐禅中に何かを課題として扱うことをしません。公案は読み、学びますが、坐禅は坐禅として、ただ坐る。ここが分かれ目です。
もうひとつ、曹洞宗には「現成公案(げんじょうこうあん)」という立場があります。特定の公案を課題として与えるのではなく、日々新しく起こってくる出来事そのものを公案と見る、という考え方です。道元禅師の『正法眼蔵』の巻名にもなっている言葉で、辞典も曹洞禅はこれを禅の本領とすると説明しています。曹洞宗は公案を捨てたのではなく、公案の置き場所が違う、そう考えるとすっきりします。
両宗派の違いをもっと詳しく知りたい方は、こちらにまとめています。
坐禅会に行くと、公案を与えられる?
ここまで読んで「自分も公案をやってみたい」と思われた方へ。実際のところを書いておきます。
| 場 | 公案は与えられる? |
|---|---|
| 観光寺院の坐禅体験 | まずありません。坐り方の指導と数息観が中心 |
| お寺の定例坐禅会(月数回) | 基本的にありません。坐禅と法話が中心 |
| 専門道場の参禅会・接心 | 継続して通う在家の方には、独参の機会がある場合もあるかも |
| 僧堂に入門する | 初関として「隻手音声」や「趙州無字」が与えられます |
つまり、一度きりの坐禅体験で公案を与えられることは、まずないと思っておいてください。初めての会で老師と一対一で向き合う、という展開にはなりません。
ただ、専門道場が一般に開いている会もあります。京都でいえば妙心寺の大衆禅堂がそれで、月に一度、申し込めば在家でも修行道場で坐らせてもらえます。大徳寺や南禅寺にも坐禅会はありますが、こちらは塔頭の会や本山の暁天坐禅で、公案や独参を前提とした会ではありません。まずは坐ってみるところからです。
もっと読みたい人へ・公案集の入り口
7則だけでは物足りない、という方へ。原典を読むなら、やはり『無門関』から入るのがいいと思います。48則と短く、1則が数行のものも多い。文庫で手に入ります。
読むときのコツをひとつだけ。解説を先に読まないことです。本則(もとの問答)だけを何度か読んで、しばらく置いておく。無門慧開が「解釈するな」と繰り返し書いているのは、そういうことだと思います。
[cta_book title=”『無門関』を読んでみる” text=”48則、1則は数行。禅問答の原典としてはいちばん入りやすい一冊です。解説は後回しにして、本則だけを繰り返し読むのがおすすめです。” url=”https://a.r10.to/hgicdK”]
よくある質問(FAQ)
Q. 「禅問答みたいだ」は悪口ですか?
文脈によりますが、多くの場合は否定的な意味で使われます。「話が噛み合わない」「要領を得ない」という含みです。辞書にも「転じて、真意がとらえにくい問答・会話」と載っているので、使い方として間違いではありません。ただ、本来の禅問答は真意を隠しているのではなく、言葉にできないものを扱っているために、そう見えているだけです。
Q. 公案の答えを知りたいのですが、どこかに載っていませんか?
「答え」として流通している文章はあります。ただ、それを覚えても意味がありません。公案は独参で師に呈するもので、同じ言葉を言っても人によって通ったり通らなかったりします。見ているのは言葉ではなく、その人が本当にそこを通ったかどうかだからです。むしろ先に模範解答を知ってしまうと、自分で疑うことができなくなります。
Q. 公案は全部で1700あるのですか?
「千七百則の公案」という言い方は広く使われていますが、この数字は『景徳伝灯録』に1700余人の祖師の伝記が収められていることに由来する、と『日本大百科全書』は説明しています。公案の数を数えた数字ではない、という見方が有力です(辞典によっては話題の数として説明するものもあります)。実際に道場で用いられるものは、三大公案集(碧巌録100則・従容録100則・無門関48則)を中心とした範囲です。
Q. 初心者が最初に読むならどの公案集ですか?
『無門関』です。48則と数が少なく、1則が短い。しかも第一則の「趙州無字」は、臨済宗の僧堂でも初関として与えられる公案です。『碧巌録』は100則あるうえに評釈が長く、最初の一冊としては骨が折れます。
Q. 坐禅をしたことがなくても、公案を読む意味はありますか?
あります。ただ、坐ってから読むと感じ方がかなり変わります。とくに「平常是道」や「達磨安心」は、20分でも坐ってみた経験があると、言葉の入り方が違ってきます。読んでから坐るのでも、坐ってから読むのでも構いませんが、両方あるとおもしろいです。
まとめ・噛み合わないのには、理由がある
「禅問答みたいだ」という言い方は、たしかに的を射ています。実際に読んでみると、まったく噛み合っていません。ただそれは、言葉にできないものを言葉でやりとりしようとしているからでした。
- 禅問答には「師と弟子のやりとり」と「噛み合わない会話」の2つの意味がある
- 公案=その問答が記録され、後の修行者の課題になったもの。語源は「公府の案牘」=役所の公文書
- 「1700則」は『景徳伝灯録』の1700余人の祖師に由来する言い方
- 三大公案集は碧巌録100則・従容録100則・無門関48則。入門は無門関から
- 『従容録』は曹洞宗の書。首座法戦式ではいまも公案が使われる
- 答えは独参で師に呈するもの。暗記しても意味がない
最後にひとつ。この記事を読んで、公案が「わかった」感じがしなかったとしたら、それでいいのだと思います。無門慧開は「解釈するな」と書きました。わからないまま抱えておく——それが公案との正しい付き合い方です。
禅の言葉についてもっと知りたい方は、こちらもどうぞ。